「ものと心」

~時を超えて受け継がれるもの~

「縄文の昔からおよそ良いものは、みんな手の仕事だった。食べ物、器も、家も、橋も、仏さまも…」いつか読んだ、忘れられない言葉です。私たちの祖先は、生きるために、草木や動物を手にし、必要なものは自分たちでこしらえ、暮らしを営んできました。日本の伝統工芸(手仕事)からは自然を受け入れた暮らしの知恵と人との繋がり、そして普遍的な“用の美”が感じられます。様々なことが便利になり大切な何かが見えなくなってしまった時代だからこそ、ものの意味合いや人との絆の大切さを考えさせられます。

青森県十和田湖畔で生まれたクラフトショップ“暮らしのクラフトゆずりは”は東北の工芸を紹介してまいりました。作り手を一軒一軒訪ね歩くことから始め、手仕事が現代の暮らしにどのようにしたら役に立てるだろうかと作り手と一緒に試行錯誤し、お客様に手仕事の背景やエピソードも一緒に伝える活動をしてきました。

長く厳しい冬。閉ざされた大地。東北ではさまざまな手仕事が育まれました。その中の一つ、青森に残る「刺し子」は、雪降る北国で生きた女性たちの手仕事です。日常の衣類や労働着の修理や補強を目的とした実用的な”刺し”という技法で、身の回りの草花や動物をモチーフにした女性らしい視点で描かれた装飾性の高い模様、高度な刺しの技が光ります。かつて東北では、寒さが厳しく綿花が採れないため、ぼろぼろになった布きれ一枚、捨てることができませんでした。手織りした麻布に、当時貴重だった綿糸を刺すことで、わずかに温くなった布を身につけ、寒さをしのぎ、生活を支えました。労力もさることながら、何より布は、生死を分ける食べ物同様にかけがえのないものでした。布をいつくしむ心から生まれた刺し子は、まさにものを大切に暮らしてきた母の知恵であり、家族への愛情でもあったのです。

また、山の男たちの手仕事の一つに、秋田杉を薄く削って作る『曲わっぱ』があります。杉の木を薄くそいで熱を加え、曲げて桜の皮で留めたもの。杉の殺菌効果でご飯が悪くなりにくく、冷えても木肌が水分を吸っていつまでも美味しかったと言います。また、曲わっぱの止めの部分に使われている桜の皮の模様は、当時「人の名前」としても使われました。山で何かあった時は、自分の曲げわっぱを沢に流して、村に安否を知らせたそうです。同じ山から採れるアケビや山葡萄の蔓で編んだ手仕事の『籠』も、日々の暮らしに欠かせない道具でした。人々は一年のわずかな季節に採取できる山の恵みに感謝し、その蔓でさえ「山からわけてもらう」と言いました。

当時の人々は自然という大きな力に畏敬の念を持ち、厳しい暮らしを受け入れて、たくましい生命力と誇り、謙虚さを持ち、生き抜いてきたのではないかと思います。今、モノは溢れ時代は量産できるかどうか、効率良く低コストが可能かということを追い求めています。けれどもモノの原点は“人の手”で作られ、その素材は“自然”から得たものだということを忘れてはならないと思います。手仕事の向こう側には、人と人、そして自然との共存関係を映し出す、深くて味わいのある物語があります。日本文化の源泉とも言える精神性はどんなに時代が変わっても変わる事のない日本人の心の遺産ともいえると思います。

目を奪われるほどの美しさで輝きに満ち溢れる十和田の森。やがて冬がきて、最後の木の葉が地面に落ちると、次の春を待つための大切な肥やしとなり、それを覆う美しい雪景色が広がります。「雪景色が綺麗なのはその下に様々な事情を包みかかえているから…」人生においても同じ、そして雪の下にある事情のように、その輝きを次の世代に伝え、受け継いでいくために、今私たちがしなければならないことがあると思うのです。