ひと針ひと針に、女性の幸せ 天羽やよいさん 菱刺し

 青森県には代表的な刺し子が2つあります。日本海側に伝わる“こぎん刺し”と太平洋側に伝わる“菱刺し“ヘともに麻布をより暖かくより丈夫にと、女性たちが布の目を数えながら段ごとに糸を刺し、身にまとう一枚に作り上げたもの。苦しい暮らし、自分の気持ちを主張することのできない時代に、女性たちはいつも針と糸を手にしてきました。なかでも菱刺しに惹かれるのは、自分が育った土地で生まれたものだからでしょうか。

衣服一枚の尊さ

 菱刺しは“南部菱刺し”とも呼ばれます。200年ほど前から青森県南部地方の農家の女性たちの手で刺し継がれました。この地域は寒さが厳しいうえ、作物が育つ時期にはヤマセという海からの風で気温が下がり、始終飢僅に見舞われました。飢えをしのぐため塩をなめるか、みそをなめるかが生死の分かれ道だったそうです(みそを食べたほうが生き残りました)。暖かい場所に生息する木綿はもちろん育ちません。北前船で持ち込まれた古手の木綿も少なく、農民は半襟一枚とて身につけることはできませんでした。身につけるものを作るため、女性たちは麻を育て糸を作り、平織りの麻布を織りました。一反から着物、袖なし(ベストのようなもの)、股引き三幅前掛けの一部ができたそうです。そこに刺された模様は、梅の花やきじの足そろばん玉など、身の回りのものが多く、村ごとに決められ、身につけているものでどこの村の人かわかったそうです。それを思うと、身につけるもの一枚の尊さ、人は何のために衣服を身につけるのか、あらためて問いかけられたような気がします。


女性の祈り

 天羽さんはいいます。「私は大変な仕事 を選んでしまった。昔の生活に戻ることはなく、菱刺しはあの時代に完成されたもの」だと。そして「私は(一生だけでは足らず)何生あってもできない。人聞が違う。だから顔向けできないものは作らない」と。天羽やよいさんは東京に生まれ、八戸に嫁ぎました。移動レントゲン検査車の中で偶然技師の持つ刺し子の袋に目を奪われたのが、菱刺しとの出会い。それ以後ずっと、初年間針を手にされています。それでもかつての女性が作る菱刺し以上のものはできない、というのです。昔の女性は現代のように家庭の中で自己を主張することは許されません。重労働の農作業に明け暮れ、医療も不十分で貧しく、厳しい生活です。なのに、丈夫にさえなればいい布にあえて細かく美しい装飾を施す。そこには苦しさよりも、家族を思い、子ともが無事に成長することを思い、女性として妻として母としての深い思いが刺し込まれています。そして、どこかおおらかで、透き通ったものがあるのです。苦しさではなく、晴れやかで潔いすがすがしさ。なぜでしょう。単調なくり返しが持つ見えない力なのでしょうか。夜なべして針に向かい、自分に没頭したときの解放感が作品におおらかさを生み出すのでしょうか。救いがあるのです。古い菱刺しの着物を手に取ると糸の盛り上がり、立体的な見え方に引きつけられます。麻布に糸が刺され厚くなった布を長く使うとやわらかくなり、糸がゆるみ、最初とは別の立体感が生まれます。まるで生きものみたい。刺した女性の気持ちが今も受け継がれているみたいに。天羽さんは語ります。「針を持つと気持ちがすーっと解放されるのを感じ、刺しているときは頭がからつぼで、呼吸と針が一体になり、自分が消えたような感覚を味わうことがある」と。無心になる:::そこに到達したとき、喜びに変わります。



糸を刺す心

 ある日天羽さんがこんな話をしてくれました。ご主人の転勤で八戸に来た女性が天羽さんのもとで3か月ほど菱刺しを習いました。菱刺しとしてはほんの入り口をのぞいたくらい。なのに「先生、ありがとうございました。私は短い間でしたが、菱刺しを教えていただいて本当によかったと思っています:::」と丁寧な電話をくださいました。その女性はがんに侵され、病床からの電話でした。「テレビはもちろん、本も読む気力もありませんでした。そんなとき、菱刺しをしてみたくなったのです。白い布と針と糸を持ってきてもらって白い布の上に針をひと針ひと針ゆっくり進めていくうちにそこに糸、か渡っていていくのを見たとき“生きている”と実感することができたのです」。そのことを伝えたくて、電話をくださったのだと。胸が熱くなりました。天羽さんも泣いていました。「布に針を刺すという単純な行為の持つ力、か、やすらぎと生きているという実感を与えることができたとしたら、」の仕事をしてよかったと思ったのよ」と。


かつての女性へ、思う

 天羽さんは、数年前から刺し地の麻を自ら織り、染めてから刺し始めました。昔の人がしていたようにその気持ちをくみとるべく機に向かい、麻布を織ります。天羽さん自身が納得のいく布ができ上がるまで2年ほどかかったでしょうか、その間作品は点も届きませんでした。「自分の暮らしを振り返ると情けなくなるの。今できることは思いを込めることしかない。そして、なんとかして、今の暮らしに使ってもらえるようにしていくこと。それからこの技術を残していきたい」、菱刺しは天羽さんの生きることそのものなのです。菱刺しに向き合うことで勇気づけられ、支えられ、喜びを感じてこの初年を過ごしてきたのです。