自分で道を聞き、築き上げてきた 柴田慶信さん 曲げわっぱ

 曲げわっぱに携わり50年を超える柴田さん。以前外国の方に「平和な作品ですね」と声をかけられたことがあるそうです。「今手仕事のもので生活をしていくのは容易なことではないが、あえて作っていかねばならない気がする。苦難の道を経て残ってきたのだから」。柴田さんの思いが伝わったのでしょう。東北の厳しい気候風土、生活の中で育まれた人の知恵が、樹齢200年に及ぶ杉の木のカを借りて生んだ曲げわっぱ。大きな時代の流れにもまれながらも生き残ってきたことへの感謝と、それを担っていく使命感が込められた一言葉です。


山人の知恵

 曲げわっぱは、暮らしの必要から生まれた道具でした。杉の白く美しい肌を見ると、丁寧に使い、白さを維持しなくてはいけないと気負ってしまいますが、そうではありません。多少の傷がむしろ味わい。曲げわっぱの弁当箱はたわしで洗うと杉の目が立ち、やわらかい部分が凹んでいきます。日にかざすとそこから光が透け、その様を柴田さんは「通り抜ける」といいました。さらに丈夫にするため山に入ると漆の木に傷をつけ、樹液をこすりつけたそうです。「山へな、弁当を持っていくには1食分だけ持っていくことはなかったんだ」。必ず何食分か持っていきます。お米が一升入る一升弁当というものもあり、ふたも深く身も深い。その両方にぎっしりご飯を詰め合わせ山へ向かいました。木肌が水分を吸って冷たくなってもおいしい。木の持つ殺菌作用でご飯が傷まなかったそうです。でも絶対に全部食ベ切ることはありませんでした。山では何が起こるかわからないため必ずひと口残し、万一のとき、自分の命をつなぐために備えました。弁当箱のふたで沢の水をくみ、焚き火で熱く焼いた石を水の中に入れてお湯にし、飲む。山で何か起きたときは弁当箱を沢に流し、自分の安否を里に知らせました。曲げわつばを留める桜皮の留め方で、それがだれのものかわかったそうです。


カラスは山の神

 母の話を思い出しました。青森県の南部地方では小正月、雪で真っ白になった田んほに男の人が立ってランナーイシナ|イ」と大きな声で叫び、そこへ集まってきたカラスに正月の餅を焼いて割ってふるまったそうです。カラスは山の神の化身といわれ男の人が携わる山仕事の一年の無事を祈り、願いをかけたのです。ご飯をひと口残すことも、祈りをささげることも、今では見られなくなった風習ですが、人も自然のひとつ、生かされているのです。ひとつ引いて、物事に向かい合っていくことの大切さを教えてくれているようです。


やすらかな存在

 東京の百貨庖の催事に招かれた際、柴田さんと私は同じフロアで売り場が背中合わせ、ということがありました。柴田さんは黒いニット帽に茶のそでなし作務衣袴姿、足には雪駄。私が女性のお客さまにストールの説明をしていると、柴田さんがスススツと近寄りニツと笑い「奥さま、このストールはいいですよ。つけで、白一那さまに喜んでもらってください」と私の接客を助けてくださいました。。お世辞にも素敵な雰囲気とはいえず、失礼ながら、ちょっと吹き出しそうになったくらい。でもとてもうれしかった。人に求めて買ってもらうことが、どれほど大変なことかを知っているからこそ、声をかけてくださったのです。柴田さんに守られているように思えました。それから柴田さんのところにお客さまが立ち寄っては私がフォローに入りました。作り手とこんな関係が築けたのは初めてのこと。作り手とは立場の違うゆずりはが、同じ土俵で気持ちを通わせることができたことありがたい経験でした。


覚悟

 柴田さんの多忙な催事スケジュールは、当時的歳の体にはどんなにこたえたでしょう。慣れているとはいえ、何日も実演販売し、作ることも続けねばならないのは、どれほど精神と体力を消耗することか。「オレは畳の上で死ねるどは限らないど思つでる:::。それでもいいと思ってるっす」。近ごろ小さくなった体に、その仕事に助けられる力強い魂がありました。柴田慶信商庖を、何もないところからひとりで営み続けることにどれほどの苦労があったことか。聞くところによると、若いころは仕事がうまくいかず、一泊を飲んでは卓祇台をひっくり返し、転がった茶碗をただ黙って拾う妻の姿にはっとさせられたこともあったそうです。柴田さんの言葉を聞き、私もそれほどの覚悟が必要なのではないか、と思いました。今は心からそう思います。すると、何をするにも不思議と苦痛ではないのです。大変と思うから大変になるのではないでしょうか。私がさまざまなことで行き詰まったとき「経済的には楽じゃなくても、心は豊かでいたいものですね。お互いがんばりましょう」と電話の向こうで気かつかつてくださる柴田さん。あたたかい声に救われます。


受け継がれ

 ある日、百貨屈の催事案内に柴田さんの名前を見つけたので訪ねると、そこにいたのは慶信さんでなく、若い、柴田さんの息子さんでした。「今回は親父の代わりに来たんです」と少しはにかんだ様子。安堵感があふれました。「どうぞがんばってください」と声をかける間もなくお客さまが集まり、私は少し離れたところで、さわやかな笑顔で作品を説明している息子さんの姿に見入りました。今ゆずりはには息子さんが作るグつくし弁当μが並んでいます。食べ終わったら小さくまとめられる、かわいい秋田杉の弁当箱。グつくしとはお孫さんの名前です。柴田さんはひとつ屋根の下、曲げわっばという仕事を通して懸命に生きてきました。その姿を見ていた息子さん。だからこそ、確実に曲げわっぱの心が受け継がれているのです。