父への感謝、息子への感謝 中川原信一さん あけび細工

 「オレは親父を越えられねえ。親父には欲がねえ。オレには欲がある」。問年前中川原さんはいいました。貧しい暮らしと厳しい仕萄・をあえて選び口数少なく淡々としかも楽しげに作った父。技はもちろん、生き方も尊敬し、技と生き方が重なり合って、中川原さんに染みていました。しかし父の時代と、中川原さんの今の時代の流れは違います。そのなかで細工をし子どもを育てていかねばなりません。はたして親のように生きられるだろうか:::。中川原さんの気持ちが痛いほど伝わりました。


森の営み

 「材料のつるを採ったあと、山に向かってお辞儀をして帰ってくる」。日年前、仕事場を訪れたとき中川原さんがいいました。山には山の営みがあり、人の暮らしは山に支えられている、その感謝を表すためにお辞儀をするのだ、とお父さんに教わってきたそうです。秋、木々は葉を全部落とし厳しい冬を迎える準備をします。あけびの龍を編むにはこの時期のつるがいいといわれ、腰をかがめて這うように、山の地面から伸びたつるを丁寧に採っていきます。ただし、決して手に余る分は採りません。足りない分は次の春に採る。そのため足元のつるを踏まないように気を配り、春、丈夫で美しいつるが育つことを願うのです。森の中で老木が倒れていると、そこに光が差し込み、つるは明るいほうへ向かって伸びていきます。山で熊に出会ったときは「ああ、いだが」「今日もつる採りに来てうど|」と心の中であいさつし、向き合うといいます。持っていったお弁当が、つるを採っている聞にタヌキなどの山の動物に食べられたこともあります。山への親しみ、みんなお父さんに教わりました。


家族の営み

 秋田の豪雪地帯に中川原さんは暮らしています。兼業で農業の他に仕事を持つ作り手が多いなか、あけびづる細工で生計を立てている数少ない作り手です。中川原さんの家には、家そのものが作業場といった感じに、ストーブを囲んでたくさんのつるが置かれていました。中川原さんご夫妻と、炉のそばにはお父さんが座り龍を作っています。ふすまの向こうではお母さんが、仕上げと小さな龍作りをしていました。ちょうど顔を出した背の高い息子さんは当時はまだ高校生。お父さんがおもむろに古い雑誌を取り出してぺジを聞き「ここを見てくれ」とばかりに指したのは、同じ炉端であけびづるを編む若いころの自分と、小学校に入る前のお孫さんがちゃんちゃんこを着て笑う、ほほえましい写真でした。「今のお孫さんですね」と私がいうと「うだ」。そして、お父さんは少し聞をおき「でも、孫はあけびばやらねえど思う」と続けました。


もの作りの心

 中川原さんは型を使いません。底を組み、全身を使って上へと編み上げていく様は、目に見えない決まりごとがあるかのように、編み目も大きさも整い仕上がっていきます。これも、お父さんに教わりました。お父さんは言葉少なに片足を前に出して座り、膝の上で淡々と手を動かしていたのを思い出します。その手さばきはしなやかで、つるとお父さんが一体にな ってい る、静か な光景でした。そのお父さんは平成同年に亡くなりました。生前十和田に一家で訪れてくれたとき、中川原さんはお父さんとのことを「このごろは一緒に山さば行けなぐなったすがら、ときどき山見せるのにしよって山さ入ります。それでも能は今もつぐってましから元気です」と話してくれました。材料を作ることがいちばん大切といわれる龍作りです。山でどのようにあけびが育つているか、足腰が立たなくなり、自分で山の姿を確認できない父に、なんとしてでも山を見せることが必要だったのです。グ山が基本そう教えたのも父。もの作りとして空いた心を埋めるべくしよって山に入ったのです。


お父さんが残したもの

 中川原さんは今も奥さまとあけびづる細工の仕事に励んでいます。お父さんの姿、言葉を心に刻みつつあけびに向き合っています。お父さんに 「この仕事をやれ」といわれたことはなかったこと、小さいころから貧乏をして育ったが一生懸命手を動かしている父親をそばで見てきたこと、使っている人に 喜 んで もらえることは、ずいぶんな励みになること:::を話してくださいました。 そして亡くなる前「お めえさ、この仕事をやらせて悪がったな」とお父さんが残した言葉のことも。15年前、あの写真を見せてくれたお父さんを思い出しました。あのとき私は、後を継いでもらえない淋しさだけを考えました、かそんな単純なものではありませんでした。厳しい暮らしをせざるをえない大変な仕事に携わり、子どもに何をしてやればいいのかを考えたとき、子どもが自分で判断できるようにそのためにも、自分が精一杯生きていることを子どもに見せることが必要だったのです。今私がその年齢になり、よくわかりました。お父さんの言葉には、思いを分かち合ってくれた息子への感謝の念が込められていました。「家族みんなでできる仕事で幸せだったと心から思っている」と中川原さんは続けます。「出張に行っても親父のごと思い出すんですよね。ああ」ごさも来たっけなあって。実演出張であっちこっち一緒に行きましたからねえ。山さ行ってもそうなんですよ。ここでこうしたごとあったっけなあって。いつまでもメソメソしてられないって思ってるんだども:::」






父から息子へ、息子から孫へ

 息子さんは今日33歳。消防士になり、忙しい毎日を送っています。が、どうやら時聞ができたらあけびづるを、という気持ちが生まれているようです。父親の生き方を受け入れているのでしよう。それがなにより。あけびづる細工の職人ではなく、その心の後継者。仕事は違っていても心を受け継ぎ、父の生き方を人として尊敬しているのが親子であり、家族なのですから。世の中が変わりゆく今それがとても大事だと思うのです。そしてまた息子さんらしいあけびづるとの向き合い方が生まれるのかもしれません。あけびづるの仕事は「μ見えておいて損はないよ」とだけ息子さんに話したそうです。遠慮しつつ息子を案じる親の深い気持ちがありました。先月電話をかけました。その向こうで子どものはしゃぐ声が聞こえてきます。「今孫が、あの写真の息子くらいになりました。『じいじ、プレスレッ卜作ろう』っていうんですよ。ただつるを巻くだけですが」とうれしそう。そして「パカにされても正直に生きたいんです。父親や母親に感謝して、人のつながりに感謝して。使っている人に喜んでもらえることへの恩返しは、一生懸命つぐることしかない、と思っているんです。生かされているζとに感謝する気持ちで:::」。今も山であけびづるを採ったあとは「ありがとうございました」と声に出し、山におじぎをして帰ります。「来年もどうぞつるをうんと伸ばしてください。そしてよがったらまた採らせてください」。心を込めての願いと感謝のあいさつを声に出して山を下ります。山の高いところでは「おl、今日もつる採りに来たど」と大声でくり返し、山に生きるものたちに呼びかけます。どれもお父さんに教わったこと。お父さんの山での姿が、私の中で画面のように広がります。それが中川原さんと重なり、いつしか中川原さんの姿に変わる:::。中川原さん親子には、あけびづるの神様がいる、そんな気がします。