老いてもなお 柴田市郎さん・吉田重太さん 籠作り

 岩手県の内陸の集落に、くるみの皮やぶど、つづるの皮で簡を作る、仲のよい2人組がいます。夏はしゃっこい牛乳、冬はあたたかいお茶それと南部せんべいにみかんでもてなしてくれました。手渡されたみかんを私が取り損ね、転がるみかんに向かって「ほら1みかんもうれしがって1」と、訪問を喜んでくれました。


暮らしの時間

 私が初めてふたりを訪ねたとき、カーブと坂道の多い細い道は、たどり着くまでどれほど長く感じたものか。まだ?通り過、ぎていない?不安になりながら周囲の民家や古い看板に目印を探し車を進め、やっと到着。でもその帰り道はとても晴れやかで、見なれない風景も親しみを感じてしまうくらいでした。ふたりに出会った数時間が自分をこんなに変化させるとは。出会う喜びと充実感がひとりの車の中でいっぱいに広がりました。途中少し開けた田んぽの道で車を止めてみたくなりました。外に出て、来た道を振り返ったとき、今までいた谷間の集落の頭上高く、高速道路が走っていることに驚きました。高速道路のスピードとその下に暮らす人々の時間の流れの違いに、大切にしておかねばならないことがある、そう威川じたときでした。


木は生きている

 幼いころ、竹細工を作る親の横で見ょう見まねで手伝うようになり、自分で作った龍が売れ親に学校のズックを買ってもらったこと、懐かしく話してくれました。体に残った幼いころの記憶は年月を経ても残り、今も龍が作れるといいます。そして「みんな、教えてけろ教えてけろっていうけれど、編むごどばかりなんだよな。材料をこしらえるこどのほうが、うんと大事だのにさ1」とつぶやきました。木の皮やぶど』つづるの皮は1年のうちで約1か月しか採る時期はありません。山の樹木が根元からたくさんの水分や養分を吸い上げる梅雨のころから夏前まで。そのとき、木の皮と幹の聞に薄いすき間があくのだそうです。その時期より遅くはいだ皮も、早くはいだ皮も、龍の顔には向きません。私は山に一緒に入ることにしました。道具を持ち、ねこ車をひいて山へ行き、山の様子を見ながら自分の体を動かして木を倒し皮をはいでいくふたり。そのときの皮をはぐ道具やねこ車がとても立派に見えました。バリバリッ!皮をはぐときのはがれまいと抵抗する音とともに、まるで水の中につかっていたように瑞々しい木肌が現れました。信じられないくらいにぬれていて、自然の生命がありました。編むこととは直接かかわりませんが、それをくり返し体験し感じることが、作るうえで大切なこと。柴田さんたちは皮を持ち帰り、乾かしぬらしを何度もくり返しながら、幅や厚みを整えていきます。どれだけの時間、材料と向かい合っていることか。そうして初めて編むことができるのです。龍の仕上がりは、材料の違いもありますが、人によって違い、そのときによっても違います。「龍さ、自分が出るがらなあ。いいと、ぎも悪いどきもあるけれど、編むどき気持ちが静がでねえばだめだ」。龍は自分と同じ、能は自分を映すといったのが忘れられません。私は、皮をはがされ裸になった木がふびんで、持ち帰りました。次第に水気が抜け軽くなる様は、生きることの移り変わりのよう。今もゆずりはに飾っています。


人を思う心

 ふたりに書類入れのような帽の狭い平らな手提げをお願いしました。幅の狭いものは手が入りにくく編みにくいものでしたがお客さまに大変好評でした。待ってもいいから欲しいという注文に精を出してくれました。吉田さんが送ってくださる荷物は、到着まで日数がかかり、いつも段ボールが変形して龍が飛び出しそうになって届きます。龍の中に詰め物をし、整えてから庖頭に出すこともしばしば。実は、その集落から町までのバスは1日に2本しかなく、車のない吉田さんは、作った龍を背負ってパスに乗り、町から送ってくれたのでした。宅配は翌日届くもの、というのは私の勝手な思い込み。それぞれの尺度がありそれを考えなかった自分が恥ずかしくなりました。お盆やお正月にはお孫さんにおこづかいをあげたいと思っているだろうとできるだけ早く代金を支払ったり、注文は気持ちの負担にならないように数を少しずつ伝え調整したりすることもあります。ゆずりはのものは、自然が素材であるとともに作り手も人、使うのも人。機械のように決してコンスタントにはいかないことのほうがほとんどです。そんな状況でお客さまと作り手の間にあるゆずりはの気づかいは、」れでいい、という終わりはありません。


必要とされること

 そんなある日、自ら命を絶った老人が増えているのをニュースで知りました。ふたりは「オラは死にてえとは思わねな。お客さんに喜ばれている。待ってもらってるのがいちばんだ」といいます。必要とされている、役に立っていると思えることは、人にとってかけがえのない大きな支えなのです。出会いから叩年以上たつ今山へ入る体力も編む力も、以前とは変わってきました。作品と一緒の手紙には肩や腕の痛みを知らせるものも増えています。久しぶりにおふたりを訪ねました。お歳の吉田さんは、自宅が火災に見舞われたとき、龍の編み方が書かれた本を雪の上に放り投げ守ったそうです。四隅が丸こげになっている本を大事そうにめくっています。引歳の柴田さんの作業場の入り口には、細い小枝をきれいにそろえた束が山ぶどうづるの残りの皮で束ねられていました。ストーブの焚きつけ用ですが、端正にならんで龍を作るつるも小枝も、彼にとっては同じことのよう。彼の凡帳面さがすべてを語っていました。どうぞ、お一冗」気で。