展示会場でとても力強い縄に出会いました。土色で太く、固く、長く、端に向かって細くなっていた荷縄。ささくれをしっかりと感じ取れ、ざらざらとした手触りは、今までに見たことも感じたこともないものでした。それなのに、気品があり掌々とした姿、美しさに目を奪われました。このような縄には二度と出会えないそんな気がしました。
縄をなう
どんな人が作っているのでしょう。係の方に尋ねると、すぐお会いすることができました。その人は、あの縄からは想像できないほど小柄でかわいい、70代後半のおばあちゃん。日焼けした浅黒い顔の中で目をクリックリッとさせ、ニコニコ顔、とても人なつっこい感じです。縄のことを聞き始めるとなおキラキラした笑顔になりました。その縄は山ぶどうのつるで作られていました。山ぶどトつづるといえば、まず龍を思い出しますが、龍作りには使えない残りの部分を細く裂いてより、つないで作ったのでした。私も小さいころわらで縄をよって遊んだ記憶が手のひらの中にあります。しかし山ぶどうのつるで縄をよるなど、手にどれほどの力と痛みがあることか。聞けば、手が痛くて却分も続けられないといいます。でも北日は、山仕事にはいちばん丈夫で役に立つものだったそうです。“縄をなう”というかつての暮らしでは当たり前の行為が、あらためて私の中でクローズアツプされていきました。長郷さんの手を見せていただきました。深く刻まれたシワ、皮脂は厚く、爪は筋が立ち、周りが黒ずんでいて、女の人とは思えないほど。とても立派な手でした。
あげもうす
こんな仕事をなぜするのですか。私の問いに彼女は「オレはなんもこの仕事きづいとは思ってねえ。日歳で母親亡ぐして、裁縫も習わないでしまった。6人の兄弟を面倒みるのでいっぱいだった。男の人がやるごどでも、なんでもやった:::」。精一杯生きるための謙虚さを感じる言一楽でした。この体ごとの技を何か形に変えられないだろうか、私の中に強い気持ちがわき上がってきました。冬、家の窓まで覆う深い雪が積もります。長い冬だからこそ、雪解けとともに窓から差し込む光にかすかな春を感じます。そんな小さな集落に長郷さんは暮らしています。2メートルにも及ぶ雪片づけはどれほど大変かと思うと、決まって「いや|、雪片づけできる自分の体に感謝してやってるわ」。なまりの強い言葉で語る話は、暮らしのひとこまが見えるいい話。たとえば、手作りしたものを差し上げた方からお礼にいただいたお茶の話は:::。「朝早く起きていただいたお茶をいれて、まずじいさまの仏前にあげもうす。それから自分も、いただく」。一日の始まりに、大切にそのお茶をいただき、昼にはそれは飲みません。外で畑仕事をしてくれば、いいお茶でなくてもおいしく感じられるからだと;あげもうすという言葉、久しぶりに聞きました。懐かしく、素敵。相手を敬う謙虚な気持ちは、長郷さんそのままです。
食べるは基本
「今日は何食べるの?」。聞けば「昼間に採ったほうれん草と。せんまいの油妙め」。彼女はひとりで、自分のために食事を作り、ちゃんと食べます。当たり前のことですが、ここに生きていくことの基本があることをあらためて思いました。長郷さんが元気なのは、深い雪の下で育まれる野山の息吹や、土に触れ、自分の畑で採れる自然の命を手にしているからなのでしょう。
素敵なセカンドバッグ
長郷さんに山ぶどうづるの荷縄をもっと細い縄にない、古くから地域に残る草を使って編み上げる枝を用いてバックを作ることを提案しました。ひとつ仕上がり、出来栄えは上々。とっても素敵なセカンドバッグになりました。サイズも厚みもしっかり吟味したつもりです。もちろんお客さまにすぐ喜ばれ、注文が入りました。でも、待つ期聞は1年。それでもよければという条件つきで承りました。材料が1年に1度しか採れません。作る手聞がお客さまの想像以上にかかります。そして、夏の間畑仕事をしながら、その合聞を縫って作るのです。長郷さんは「これはおガミさんにしかつぐんねえ」といいます。いいものは多くの人にどんとん伝えるべきだし、伝えていきたい。ですが、守りながら伝えるということをゆずりはは大切にしてきました。売れたほ』つがいいい、でも、それだけではないのです。決して、私のような立場の者が忘れてはいけないことだと思っています。
小さなわらじ
ある日の夕方、長郷さんの家に伺うことにしていましたが、すっかり日も暮れ遅くなってしまいました。「長郷さーん」。何度声をかけても返事がありません。でも奥にかすかな明かりが見えているようで、中に入ってみました。台所の一角にある小さい仕事場にだけ電気をつけて、床に座り、前かがみになって何かをしている長郷さんの姿が見え、声をかけました。「あれーおガミさん、今日、はあ、来ねえんだべなど思つでだ。せばちょうど、これもう少しでできるから、今のうちに作って持だせようと思って」と、私にくださる小さなわらじを作ってくださっていました。この辺りでは、わらじゃぞうりを小さくして持つと、旅の安全祈願になる、といわれています。私を案じてくれる長郷さんの気持ちに胸が熱くなりました。そして逆に、自分がものを作ることを喜んでもらえることに、どれだけ感謝の気持ちでいっぱいなのかがひしひしと伝わってきました。
今は、人生の途中
こんなこともありました。東京の姉妹庖がオープンする数日前、十和田の夫が倒れました。準備を皆に頼み、すぐ十和田に一戻りました。夫婦なら」んなときだからこそそばにいてやりたいと思いましたが「ここにいてくれるより、東京でがんばってくれるほうがずっと俺の薬になる」と夫にいわれました。後ろ髪を引かれるような思いで東京に戻った朝、7時半に携帯電話が鳴りました。長郷さんからの電話でした。「おガミさん、なんぼ電話しても通じねえ。何があったがあ?」。事情を話すと「そうがあ・・・・・・。おガミさん、生きでるうぢには、いいごとは少ねえ。この村の人たちみででもそうだあ。那さん、大事にしねえなあ」。ビルに固まれた東京の木造アパートの窓を見ながら、一課があふれました。人は今がとても不幸だと思ってはいけない。さらなる不幸が立ちふさがるとき、今の不幸は不幸だと思わなくなります。人は欲張りです。そして、幸せより、不幸のほうが目にとまります。は長い人生の途中です、結果ではありません。長い人生、苦労を重ねて生きてEきた、たくましく豊かな長郷さんの、奥の深い言葉になぐさめられました。元気でいてください。私はいま、ゆずりは展のため鹿児島にいます。鹿児島の“春待ち茶”を送ってあげょうかな。